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オーディション合格者に聞け!08/10/16号オーディション合格者に聞け!08/10/16号

第12回 08/10/16号

以前インタビューした有限会社「JET RAY LOGIC」と共に、PLAYSTATION®3オンライン配信専用タイトル「ゴミ箱」を制作している岡嶋さんと大村さん。年齢もキャリアも離れた2人から見たオフィスの風景、そしてゲーム業界の楽しさを大いに語ってもらいました!

プロフィール

岡嶋滋生
岡嶋滋生
北海道大学理学院修士課程修了後、ゲーム会社に就職して多数の作品を制作。「ゲームやろうぜ!2006」合格後は独立して、株式会社「コランダム」を設立する。以降はJET RAY LOGICチームと活動を共にし、プログラマーとして「ゴミ箱」の制作に携わる。
大村邦福
大村邦福
東京工科大学メディア学部在学中、「ゲームやろうぜ!2006」に応募し合格。PlayStation®Portable専用ソフト「勇者のくせになまいきだ。」「勇者のくせになまいきだor2」では、チャレンジモードの担当として制作に参加する。「ゴミ箱」では主にデザインとプランニングを担当。

前回のオーディション(旧「ゲームやろうぜ!」)に応募された経緯をお聞かせください

大村邦福氏(以下敬称略):学校内にいろんなコンクールを掲示する場所があって、そこで前回のオーディションのことを知ったんです。本当は大学院に進むつもりだったんですけど、もともとゲーム業界にすごく興味があったので、「面白そうだし良い機会だから、応募してみようかな」と思ったんですね。それと昔に発売されたゲームですごく好きだった作品があったんですけど、そこに(「ゲームやろうぜ!」の)チラシが入っていたんですよ。その頃は中学生だったんですけど、何か運命的なものを感じました。

ちなみに、そのゲームのタイトルを覚えていますか?

大村:PlayStation®の「天誅」なんですけど、僕は今でもこのゲームが大好きで。オーディションに合格してから知ったんですけど、運営スタッフの山本さん(SCEシニアプロデューサー)が初代天誅のプロデューサーだったのには、すごくビックリしました。僕がゲーム業界に入りたいと思った一番のきっかけになった作品なので、そこでも運命的な何かを(笑)。。

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なるほど。中学生の頃に触れたゲームにルーツがあったんですね。では、岡嶋さんはどうでしょうか?

岡嶋滋生氏(以下敬称略):ゲーム会社でプログラマーとして勤めていたのですが、自分のゲームが作りたくなったんですね。そのときにこのようなオーディションがあると聞いて、やっちゃおうと。

岡嶋さんはゲーム業界歴が11年と長いですが、昔からゲーム業界で働きたいというビジョンはあったのでしょうか?

岡嶋:コンピューターに触れることは僕らの年代だとそれほど珍しくはないと思うのですが、9歳の時に父親がパソコンを買ってきたんですね。でもゲームはないので、自分でプログラムを打って作っていました。その後暫くはゲームから離れていて、大学もコンピュータサイエンス以外の学部に通っていたんですけど、たまたま大学の正面にゲーム系の専門学校を見つけたのでアポ無し突撃したんですよ。そこにたまたま校長さんがいらして、「君は面白いね。良かったら来てみれば?」と仰って頂いたんです。それから本格的にゲーム制作に興味を持ちましたね。

オーディションに応募された作品はどういったものだったのでしょうか?

大村:「天誅」や「侍」とか和風テイストの作品が大好きなので、その世界観で自分なりのアイデアを盛り込んだアクションゲームを応募しました。

岡嶋:僕は自動生成プログラムに興味があるので、それを使って惑星サイズの地形を作っていくソフトで応募しましたね。

大村さんが和風テイストにこだわる理由はありますか?

大村:僕はおじいちゃん子で時代劇モノの番組を結構見ていて、そういう環境で育ったからなのかもしれないですね。あと和風テイストって、例えば忍者とかは海外でも人気があるじゃないですか。そういう世界に誇れる日本の文化、という意味でも好きですね。

作品を応募されてめでたく合格に至ったわけですが、その当時の心境は?

大村:「やったー!」と素直に喜んだと同時に、「これからどうなっていくんだろう……」という不安もありました。

岡嶋:僕も同じで嬉しい気持ちはあったんですけど、それまで勤めていた会社を辞めて、自分で会社を設立したので「これから生活が大変だぞ……」という危惧もあって。でも「ゲームやろうぜ!」発案者の桐田さんが、その当時のインタビューで「ジャパニーズドリームを目指すならここだ!」と言いきってらっしゃったので、この現場で頑張ろうと思いました。

個人で応募されたお二人が、JET RAY LOGICチーム(以下JRL)と一緒に「ゴミ箱」を制作することになったきっかけは何だったのでしょうか?

岡嶋:時期は何時だったか忘れちゃったんですけど、JRLの3人と一緒に半日くらい喫煙所に籠って「何か良い企画がないかなぁ」という話をしていて、そこで「ゴミ箱」の企画で盛り上がったんですよ。あとは自然発生ですんなりと出来ていきましたね。

大村:それまでの積み上げがあったから良かったかも知れませんね。「ゴミ箱」が生まれる前に、JRLのメンバーが竜巻で街を壊していくという内容のゲームを考えていて、僕もその企画には参加させてもらっていたんですけど、作業が行き詰った頃に夏休みになったので僕だけ実家に帰っていたんですよ。そして戻ってきたら「面白いアイデアが出たよ!」と皆が盛り上がっていて。企画の話を聞いたときに非常に面白いと思ったので、「ぜひ参加させてください!」とお願いしました。

大村さんは今の現場が初のゲーム業界になるわけですが、実際にゲーム制作に携わってみてどうですか?

大村:まだまだ修行中の身で恐縮なんですけど、そんな僕から見てもここの環境は恵まれているなと思います。というのも普通に就職したら、おそらくデザイナーだったらデザイナーと完全に仕事が割り振られて、入社したばかりでは意見も採用されにくいと思うんですよ。でも「PlayStation®C.A.M.P!」の事務所はそこが自由で、やりたいことをやらせてもらえるのが良いですね。その分、すごく頑張らないといけないことも多いんですけど、良い環境に入れてもらえて感謝しています。

では反対に、業界経験のある岡嶋さんからみて、「PlayStation®C.A.M.P!」の現場はどうでしょうか?

岡嶋:大村君と一緒ですよね。恐らくどのゲーム会社でも、一プログラマーがまとまった企画準備の期間が貰えるということはほとんどないと思うので、自分で理想のゲームを作るなら通常業務をこなしつつ企画を固め、尚且つ会社を設立するしかないという考えに至った訳です。そういう思いが芽生え始めた頃にオーディションがあった訳です。合格させて頂いたのは本当に有り難かったですよ。それなら、まずは恩を返そうと。1本(作品を)出さないと、タダ飯食いですから(笑)。そこはクリアしたいという思いは大きいです。

これまではプログラマーメインで活躍されてきた岡嶋さんが、自分のゲームを作りたいと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

岡嶋:良い質問ですね(笑)。今から15年ほど前に、あるテレビ番組でビデオゲームが特集されていたんですけど、その番組での記録映像でノーラン・ブッシュネルが「人生のうちで一度くらい会社を作って、たとえ潰れても良いじゃないか」と言っていた。その言葉を聞いたときに目から鱗というか、ものすごく感銘を受けたのを覚えています。僕の人生の転機になった名ゼリフですね。

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